みなさん、こんばんは。このたびは、このような集会にお招き頂き、たいへん光栄に存じます。
ここ広島では、私たちは戦争の悲惨さを最も思い知らされます。広島で私たちは「よい戦争」というものはないのだという事実を改めて思わされます。戦争は一般人に苦しみをもたらす一方で、金持ちをもっと金持ちにします。つまり戦争の勝者はお金で、人々は常に敗者です。だからこそ連合軍最高司令官、NATO軍最高司令官を歴にしたアイゼンハウアー大統領は、退任演説で軍産複合体の危険性を警告したのでした。 今日の前半に、オリバー・ストーンさんが思い出させてくれたのはパワーです。イラクとの犯罪的な戦争のせいで、アメリカの納税者は、いまだ3兆ドルの負債を背負わされています。豊かになったのは、この軍産複合体だけです。原爆投下のトルーマンは、ただ政治的目的によって、我々広島、長崎、そしてパレスチナに破滅をもたらしました。 戦争とは、かつてバトラー総督がいみじくも指摘した通り、貧乏人の犠牲の上に金持ちがさらに金を作り上げるための、ぼったくり詐欺なのです。だからこそ、人々が力を合わせて止めようとしない限り、戦争は続いて行くしかありません。ベトナム戦争や南アフリカの例にあるように、我々人民だけが戦争を止めることができます。私が最も希望を見出しているのが、この人民の力です。
私は世界の1200万人のパレスチナ人の一人です。うち3分の2は難民となったり、他国で故郷を離れて暮らすことを余儀なくされています。こんなことがどうして起こってしまったのか、そしてどうすればこんな人民同士の闘いをやめさせることができるのでしょうか。パレスチナ人は、もともとアジアの西に位置する肥沃な三ケ月地帯に住む人々の総称でした。人類文明の鍵となる一里塚が、カナンと呼ばれるこの地に始まったのです。動植物を家畜化しはじめ、アルファベットを発明し、そして法律と宗教がこの地から発達しました。この土地は、宗教と文化の発展という点においては、実に1万1千年以上の文明化の歴史を持っております。パレスチナを何か1つのものにしてしまおうという最近の試みは、失敗しました。つまり、すべてをキリスト教徒にするとか、あるいはすべてをイスラム教徒にするとか、はたまた全てをユダヤ教徒にしてしまうとかいう、もくろみのことです。このようなことは、例えばかつてヨーロッパの十字軍がやろうとしたことがあります。しかし、パレスチナと呼ばれる土地の歴史の9割以上の部分は、多宗教的でかつ多文化な土地として、やってきました。
しかし19世紀後半から、「シオニズム」と呼ばれる新しい政治思想が生まれました。彼らは「ユダヤ教徒の国」を作ろう、パレスチナの土地にそれを作ろうという考えを始めました。しかしその当時さえパレスチナの地におけるユダヤ教徒人口はまだ3%以下でした。シオニズムという植民地主義的な考え方は、西側諸国とくにイギリスが支援し、のちにアメリカが一層熱心に支援するようになりました。それによって冷酷に組織化されたプロジェクトとして、現地のパレスチナ人を民族浄化する事業が始まりました。33回にも及ぶ大虐殺によって、530もの町や村が完全な破壊の憂き目に遭いました。このとき生じた難民化は、第二次大戦後、世界最大規模のものです。そして私の祖母もヒバクシャ同様それを生き延びた人々の一人です。
今日、700万人のパレスチナ人が難民になっています。同時に500万人のパレスチナ人がまだ我々の歴史的な土地のわずか8.3%に押し込められながら、現在も暮らしています。イスラエルという国家は、パレスチナ破壊の上に建設されました。例えば今のイスラエルは、原住民であるパレスチナ人を具体的に差別する法律が55個も存在します。国際的な法定義によれば、それはアパルトヘイト国家であることの要件を満たしています。それでいながらシオニストは、他の全ての植民地的帝国主義者がしてきたように、我々犠牲者に対してテロリスト呼ばわりすることを演出しています。ヨーロッパの植民地主義は、こうしたことをアメリカ大陸で行い、そしてアフリカやアジアでも行ってきました。彼らは、自分たちは文明をもたらす開拓団と自認し、野蛮な劣った者たちから自分たちを守るのは当然だと言うのです。しかし、実際は、植民地化というもの自体がすでに暴力です。そして、侵入者の側よりずっと多い現地人が殺されてきています。
イスラエルという国家による占領と植民地化がどんなに残忍かについて話せば、いくらでもお話は尽きることがないでしょう。住んでいる家を壊し、土地から人々を引きはがすやり方について、多くの殺人や拷問について、尽きることのない話があります。子どもたちの骨は兵士に折られてきました。そして学校には白リン弾が撃ち込まれました。この話にはイスラエルの核武装さえ続くこととなってしまいました。最近では、国際法に違反しているイスラエル人の入植地から、パレスチナ人の村に対して不法投棄されている有毒廃棄物が問題になっています。その他には、弁護士の面会やまして裁判官にすら一度も会ったことのない、何年も拘留されている政治的囚人たちの話もせねばなりません。平和 的なデモに参加しただけで殺された友人たちにのことも話さねばなりませんし、私自身の家族の苦しみについても話さねばなりません。しかし、これらすべてをお話しするには、今は時間がありません。
パレスチナ人はこうした過酷な攻撃に対して、過去100年もの間、抵抗してきました。パレスチナの抵抗は実に様々な形をとり、大半は非武装でした。平均約10年ごとの頻度で、これまで13回の大きな抵抗運動が起きています。ちなみに南アフリカはアパルトヘイトのもと、15回の抵抗運動がありました。 我々パレスチナ人は、いつも革新的な方法で闘ってきました。
例えば1929年にパレスチナの女性たちが120台の車を集めて、エルサレムの旧市街をデモ運転したことがありますが、これは人類史上初めて、車を使ったデモとなりました。我々は植民地主義者のシオニズムを支持するのを止めるよう、オスマン帝国や大英帝国にロビイング活動もしてきました。納税拒否運動もしました。さまざまな形の市民的不服従の形を模索してきました。また同時に国際的な連帯に支援を求めてきました。これによって今までに何万人もの海外支援者が我々の闘いに加わりました。ISMと呼ばれる国際連帯運動もあります。南アフリカのアパルトヘイトに対する闘いのように、ボイコットや、投資引き上げと制裁を呼びかけるBDSと呼ばれる運動もあります。
こうした広い連帯運動は本当に重要なものですから、ぜひとも参加を呼び掛けたいと思います。こうした運動を通して、私たちの目に政府の偽善が明らかになっていきます。表向きは民主主義や人権を謳う一方で、レイシズム、人種差別政策、専制政治、戦争などの、あらゆる形の人権侵害を支持する偽善政治のことが明らかになって行きます。
私たちは、小さな青い惑星を共有しています。しかし同時に、イスラエルのような国が地球を破壊しかねない核兵器の時代をも共有しています。この現状に、ただ黙って満足して待っているわけにはいきません。かつてヘーゲルはこう言いました「”人類は歴史から学ばない”という歴史を学びました」と。この言葉は間違いだったといつか言ってやらねばなりません。我々は共通の歴史から学ぶことができるのです。そして現在インターネットのおかげで、核や核兵器、そして戦争に対するグローバルな反乱が始まっています。人民の力がついに示されたとき、戦争だけではなく、貧困や気候変動、無気力、無関心のもたらす様々な問題にも我々は打ち勝つことができるでしょう。これこそが、私たちが 犠牲を払ってでも得なければならない未来だと、私は思っています。
仏教には次のような言葉があります。「この世界の不幸に、喜んで参加しましょう」と。この参加というのが重要な鍵です。皆さん、この世界にある様々な不幸に、喜んで参加しようではありませんか。
最後に、イスラエルの核兵器を告発して、政治犯として24年以上にわたり逮捕拘束され、現在も海外渡航禁止措置にあるイスラエル人、モルディハイ・バヌヌさんから広島にあてたメッセージをお届けします。
≪バヌヌVTRここから≫
「こんにちは、日本の皆さん。とくに広島の皆さん。私はずっと広島に、8月6日に行きたいと願っていました。もう20年以上逮捕拘束されており、長らく渡航などできない状態でしたが、ここ数年ようやく行けるかもしれないという、希望を持っています。日本の支援者の皆さんに会うのを本当に楽しみにしています。私が見てきたこと、経験してきたこと、そして核についての私なりの分析。そういったことを全てお話ししたいと思っています。本当に日本、東京にすぐ行きたいです。よろしくお願いします。ありがとう。」
以上です、ご清聴ありがとうございました
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